人権デューデリジェンスとは何をすればよいか。海外事例から学ぶ。

人権デューデリジェンスとは、事業活動の中で人権を侵害するような行為がないか調査して対応することである。事例を用いて、サスティナブルの課題として大企業を中心に取り組みが進みつつある新しい取り組みを紹介する。人権デューデリジェンスは今後、日本でも法制化される可能性もある重要な概念だ。制度化されて、慌てて対応する前に事前に知識をインプットしておくことをおすすめしたい。

人権デューデリジェンスとは?

人権デューデリジェンスの定義

人権デューデリジェンス(以下、人権DD)とは、人権リスクを抑えることを目的とした企業活動だ。人権DDに取り組む企業は、その事業活動において、まず強制労働やハラスメントなどの人権リスク・人権を侵害するような行為がないか調査。そして起こりうるリスクが発生しないよう、詳細な分析・対策の策定のもと、具体的なアクションを実施する。

人権リスクの定義

人権リスクとは、人権問題についてのリスクを指す。企業は子会社・関連会社を含む自社グループだけではなく、サプライチェーン上で発生しうる人権リスクに対しても対応しなくてはならない。もし人権リスクの高い取引先と事業を行っていれば、その企業は人権リスクに対処していないとしてみなされる。

人権リスクの具体的な事例は以下のとおり。

  • 強制労働(工場などでの強制的な長時間労働など)
  • ハラスメント(特定の従業員に対する差別、嫌味・悪口など)
  • 長時間労働(1日8時間、一週間で40時間の法定労働時間を超えた労働)
  • 児童労働(農林水産業に多く見られる18歳未満の危険な労働)
  • 賃金未払い(定期的な給料・残業代・割増賃金などの未払い)
  • 外国人労働者への人権侵害(技能実習生などに対する長時間労働・いじめなど)
  • インターネット上の人権侵害(プライバシー侵害、ヘイトスピーチなど)

人権デューデリジェンスのこれまで

海外では2010年前後を境に人権DDの法制化が進められたが、日本では法制化には未だ至っていない。しかし近年、日本でも法整備に向けた動きが見られ始めている。

国際動向

人権DDへの国際的な取り組みは、2008年の国連による「保護、尊重及び救済の枠組み(通称:ラギーフレームワーク」が始まりだ。以降、各国は人権関連法の制定・施行を進めてきた。

国/国際機関制定年・施行年法名
国連2008年保護、尊重及び救済の枠組み(ラギーフレームワーク)
米国カリフォルニア州2010年・2012年サプライチェーン透明砲
国連2011年ビジネスと人権に関する指導原則
米国2012年米国金融規制改革法の紛争鉱物条項
英国2015年現代奴隷法
フランス2017年人権DD法(企業注意義務法)
オーストラリア2018年現代奴隷法
OECD2018年紛争地域および高リスク地域からの鉱物の責任あるサプライチェーンのためのデューデリジェンス・ガイダンス
オランダ2019・2022年児童労働DD法
ノルウェー2021年・2022年透明性法
ドイツ2021年・2023年施行予定サプライチェーンDD法

EUは、人権・環境・グッドガバナンスを尊重し、バリューチェーン上のDDを実施することを義務付ける「EUコーポレート・サステナビリティDD指令案」(2022年)を公表。これは各EU加盟国に適用される規制ではなく、各国に対して国内での立法手続きを求める指令である。そのため施行されれば、2026年頃から各EU加盟国で導入・法制化の動きが加速することが予想される。
また最近の顕著な傾向として、中国・新疆ウイグル自治区でのウイグル族に対する差別に関する人権DDがあげられる。ウイグル族に対する人種隔離政策、強制労働、強制的な不妊治療などの人種差別的な政策への対抗策として、人権DDの重要性は高まっている。

日本の動向

日本では海外と比較して、ビジネスにおける人権に関する法制化は遅れているのが現状だ。しかし先進的な海外の動きに伴い、人権(特に人権DD)への関心は高まりつつある。

  • ビジネスと人権に関する行動計画(2020年10月外務省)
  • 責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン(2022年9月経産省)

ガイドラインでは、外国人技能実習生に関する問題など、日本特有の事情に言及されていることから、日本企業の人権対応への必要性は高まることが予想される。また地域、製品・サービス、業種、個別企業からなる4つのリスクに応じて優先順位をつける考え方も盛り込まれている。

日本国内での指針策定の背景にあるのは、海外での人権関連法が日本企業に影響を与えるケースの増加だ。人権DDはサプライチェーン全体に関わっている。そのため日本の人権DDに対する動きが遅れていると、国際的に影響を受ける可能性が高い

たとえば、ドイツの「サプライチェーンDD法」やEUの「EUコーポレート・サステナビリティDD指令案」では、人権DDに関する義務についてより直接的に言及している。これらの動きによって、日本がドイツ企業のサプライチェーンとして「人権問題」への取り組みについて調査を受けることが想定され、不十分な場合には取引自体の見直しにつながる可能性も考えられる。そのため、人権リスクが発生しやすいアパレルやフード関連の企業では、人権問題への対応をすすめるところも出てきている。

参考:供給網の人権チェック義務広がる 日本企業、どう対応?|日本経済新聞

人権デューデリジェンスの事例紹介

以下の3社では人権DDへの取り組みが進んでいる。

ヒューレット・パッカード国際プログラムの導入サプライチェーンでにおける目標設定
サムスン電子第三者評価の実施独自の人権影響評価の実施
マーク&スペンサーステークホルダーのマッピング

海外事例①ヒューレット・パッカード

1つ目の海外事例は、通信機器を製造するヒューレットパッカード。

ヒューレット・パッカードは人権尊重を自社のコアバリューとして位置付けている。ステークホルダーが影響を受ける可能性のある人権リスクの適切な管理についてコミットメントを表明。具体的には、オペレーション・サプライチェーン・ビジネスモデルにおいて起こりうる負の影響に対処すべく、顧客や従業員、コミュニティメンバー、その他のあらゆるステークホルダーとの関係強化を図ることで、人権リスクの低減を目指している。

同社は事前に防止、もしくは対処すべき人権リスクを下記のとおり、規定している。

リスクを担うビジネス機能ステークホルダー人権
倫理・コンプライアンス人事社員働く権利差別・ハラスメントを受けない権利
サプライチェーンオペレーショングローバルな間接調達製造・物流・リサイクルを担う労働者サービス労働者合理的な労働時間を確保する権利雇用を自由に選択する権利安全な労働環境で働く権利
環境・健康・安全製造・物流・リサイクルを担う労働者サービス労働者社員合理的な労働時間を確保する権利雇用を自由に選択する権利安全な労働環境で働く権利
技術的規制顧客健康への権利
プライバシー従業員プライバシーに関する権利

上記のリスク低減を図るべく、同社は「サプライチェーン責任(SCR)プログラム」「責任ある鉱物調達プログラム」「AI倫理/責任ある製品開発活動」「責任あるユースプログラムなどの複数のプログラム」など、国際的なプログラムを導入済みだ。

また、人権DDのさらなる改善や高度化に向け、2022年には以下3つに関して、サプライチェーンの取引先での実施を求める目標を発表した。

  • 従業員への人権トレーニング
  • 従業員が声を上げやすい環境
  • 雇用主負担の原則の遵守

これらは全て自社サプライヤー100%によって取り組まれていることが強調されている。

参考:HUMAN RIGHTS PROGRESS REPORT 2019|HP
参考:Boldly dedicated to upholding human rights|HPE

海外事例②サムスン電子

2つ目の人権DDに関する海外事例は、韓国のテクノロジー企業であるサムスン電子。

同社はパンデミックの発生以降、社会的・地政学的・環境の変化に対応すべく、サステナブルなDDシステムの確立を図ってきた。

2021年には韓国、ブラジル、インド、中国における9事業所に対して、Responsible Buisiness Alliance(RBA)による第三者評価を実施。結果はいずれも遵守率93〜98%(合計)で推移している。特にブラジル子会社は外部監査人から「他者に紹介するに値する模範企業」と評価されるほど、人権尊重が徹底されている。第三者評価を通して発見された課題に対しては是正措置を講じ、改善に長期間を要する問題に関しては長期的対策を講じるとしている。

また同社は、定期的に各事業所において独自のHuman Rights Impact Assessment(HRIA、人権影響評価)を実施している。以下の6つがそのステップだ。

①計画対象となるターゲットと範囲の定義利害関係者の定義伝導基礎研究
②リサーチ評価対象領域ごとのチェックリストの作成脆弱な領域に関する詳細な調査の実施
③ステークホルダーとの対話政府機関・報道機関・NGO・労働団体・地域住民・従業員・パートナー企業との積極的なコミュニケーション
④影響分析リスクの特定改善計画の策定内部報告書の作成
⑤是正措置タスクの実施と結果のモニタリング影響の評価
⑥情報開示サステナビリティレポーを通じた実績の共有

幅広いステークホルダーとの対話をもとに、リスクを特定した後、そのリスクから受ける影響を分析、そして外部に公表するまでが一連のプロセスだ。

実際に2021年の4〜7月には、トルコ生産拠点でHRIAが実施された。同社の従業員、サプライチェーン労働者、周辺地域社会の受ける潜在的リスクがターゲットとされ、特定された4つのリスクにおける22のタスクのうち12が完了済み、残る10のタスクは実行中だ。

【特定されたリスク】

  • 労働と人権
  • 健康と安全の権利
  • 利害関係者の知る権利
  • サプライチェーンにおける労働者の権利

【タスクの範囲】

労働と人権の保護人権ガバナンスと関連リスクを特定するプロセスの確立苦情解決と是正システムの強化労働と人権に関する研修の提供
労働安全衛生関連方針の策定と従業員向け研修の実施
ステークホルダーへの関与外部機関・団体との定期的な対話の確保
サプライチェーン管理サプライチェーンにおける協力会社のコンプライアンス強化支援現場監督の実施
参考:Human Rights Due Diligence|SAMSUNG

海外事例③マーク&スペンサー

英国の大手小売業者であるマーク&スペンサーも、人権DDに積極的に取り組む代表的な海外事例である。

同社は人権DDの取り組む範囲を決定する際、沿うべき3つのステップを紹介している。

  1. 自社ビジネスに影響を与える可能性のある人権リスクを特定
  2. ステークホルダーをマッピング
  3. 自社の人権DDの進捗状況を把握/重要度の高い問題を特定・評価

①人権リスクの特定

マーク&スペンサーは、以下のような表を使ってどの人権が自社ビジネスと関連性が高いかを特定することを勧めている。

画像出典:MARKS AND SPENCER’S FOOD HUMAN RIGHTS STANDARDS:HUMAN RIGHTS DUE DILIGENCE AND REMEDY GUIDANCE|Marks & Spencer

マッピングによって、人権上の悪影響を「引き起こす」「与える」「関係する」可能性のある自社ビジネスの特定が容易になる

※より詳細に人権リスクの項目について知りたい方はこちら

②ステークホルダーのマッピング

人権DDの肝となるのがステークホルダーに対する深い理解だ。ステークホルダーへの理解を深めることによって、自社ビジネスが影響を与える可能性のある人々の立場・視点から自社を俯瞰することができるようになる。また人権への影響に関する分析の質を向上させることも可能だ。

ステークホルダーの分類例は以下のとおり。

個人/グループ自社事業の労働者サプライチェーン上の労働者自社事業のある地域社会サプライヤーなど
組織企業サプライヤー請負業者労働提供者政府関係者
その他のステークホルダー政府間組織非政府間組織市民団体学術組織労働組合

ステークホルダーの分類ができたら、マッピングを実施する。マッピングには以下の4つのステップがある。

特定関連する個人・組織・グループのリストアップ
分析利害関係者の視点と関心への理解
マッピングステークホルダー間の関係を可視化
優先順位づけステークホルダーの関連性のランク付け、問題の特定

マッピングでは、異なるグループの利害がどのように互いに結びついているかを明確にしなければならない。そして最後に、リストアップされたステークホルダーのうち「自社ビジネスにとって最重要な者は誰か」「彼らの問題のうちどれに焦点を当てる必要があるか」について決定する。

以下はマーク&スペンサーが公開しているマッピングの例だ。

画像出典:MARKS AND SPENCER’S FOOD HUMAN RIGHTS STANDARDS:HUMAN RIGHTS DUE DILIGENCE AND REMEDY GUIDANCE|Marks & Spencer

関連性の高いステークホルダーごとに、各ステークホルダーの視点・関心、他の利害関係者との関係が整理され、優先度の高いステークホルダーが導出されている。

③進捗状況の把握/問題の優先順位付け

最後は、人権DDを促進させるために必要な取り組みを可視化させなければならない。このステップでは以下「M&S’s Human Rights Due Diligence Maturity Framework」が有用だ。

画像出典:MARKS AND SPENCER’S FOOD HUMAN RIGHTS STANDARDS:HUMAN RIGHTS DUE DILIGENCE AND REMEDY GUIDANCE|Marks & Spencer

上記のフレームワークを用いることによって、自社の人権DDが「Foundation」「Intermediate」「Advanced」のどのレベルに位置しているかを把握することが可能だ。人権DDへのアプローチを発展させるための必要なステップも明確になる。

参考:MARKS AND SPENCER’S FOOD HUMAN RIGHTS STANDARDS:HUMAN RIGHTS DUE DILIGENCE AND REMEDY GUIDANCE|Marks & Spencer

人権デューデリジェンスのこれからー海外動向を踏まえて

海外動向を追ってみると、今後企業は以下の2つのポイントを押さえておく必要があるだろう。

人権最高責任者の配置(世界)

取締役会・上級管理職レベルで人権に対する責任をとっている企業は、自社の人権DDを改善させていることが明らかだ。

World Benchmarking Allianceが2022年に発行したレポートによると、人権に対する取締役会の責任、および人権に関する管理・リソースの配分と、人権DDには強い相関関係があることが明らかに。調査からは、人権DDを最も改善した企業のうち、75%が人権に対する責任を上級レベルで担い、人権に関する実施・意思決定にリソースと専門知識を多く割り当てているという結果が出ている。これは、人権DDをより効果的な実施を望む場合、人権リスクに対する責任を取締役会および上級管理職のレベルにまで引き上げる必要性を示唆していると言える。

参考:Elevating human rights responsibilities to the board and senior management level appears to be key for better action on human rights due diligence|World Benchmarking Alliance

ステークホルダーとの対話の実施

人権DDを適切にかつ効果的に実行するためには、幅広いステークホルダーとの関わりを強化することも求められている。しかし、人権DDに先進的な海外でも、ステークホルダーとの対話に関しては難航しているようだ。

World Benchmarking Allianceが2020年に実施した「Corporate Human Rights Benchmark」によると、対象となった企業の66%が人権リスクの影響を受ける可能性のあるステークホルダーとの対話に前向きな姿勢を示していたが、2022のベンチマークでは、行動に移している企業は5%未満にとどまっている。実際に、ステークホルダーとの対話を積極的に行い、説明責任を果たした企業は、ユニリーバとザ・ハーシー・カンパニーの2社のみだった。

ステークホルダーの声を人権DDに反映させなければ、企業はステークホルダーの抱えるニーズに合わせて人権問題に対処することは難しい。しかし、ステークホルダーとの対話を具体的にどう進めていくかは議論が続いている。

参考:Companies need to translate their commitments to stakeholder engagement into meaningful action|World Benchmarking Alliance

まとめ

本記事で紹介した人権DDの海外事例は最高レベルのため、自社で取り組むのは難しいと感じるかもしれない。しかし、自社のステークホルダーを分類し、ステークホルダーごとに人権リスクを洗い出す事例は取り入れやすいだろう。人権リスクを特定するだけでも、人権に関する悪影響を可視化することができ、対策も取りやすくなる。

海外では人権リスクへの取り組みが進み、サプライチェーンにも同様のアプローチが求められている。欧米企業からの要請にこたえるためにも、まだ人権DDに取り組んでいない、もしくは取り組みが遅れている日本企業は、人権DDへの準備を進めていく必要があるだろう。

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