【特別対談】人的資本が企業価値を作るーANAが実践するサステナビリティ経営戦略に学ぶ(前編)

【特別対談】人的資本が企業価値を作るーANAが実践するサステナビリティ経営戦略に学ぶ(前編)
本記事は、ESG Journalを運営するシェルパ・アンド・カンパニー株式会社(以下シェルパ)のCSuOが、ANAホールディングス株式会社の保谷氏をお迎えし、企業のサステナビリティ推進や戦略、情報開示について対談したものです。

ANAホールディングス株式会社は、2024年4月より、シェルパが開発・運営するサステナビリティ情報開示支援プラットフォーム「SmartESG」を導入しています。2025年8月発表のシェルパのシリーズB 1st close資金調達にCVCを通じて出資参画し(※)、両社は、企業価値向上の在り方を共に創り出す、新たなサステナビリティにおける取り組みを開始しています。

対談者プロフィール:

ANAホールディングス株式会社 執行役員 グループCSO 保谷 智子氏
1992年 客室乗務員としてANAに入社。羽田空港、関西国際空港で勤務。2001年 総合職に転換し、その後配属された成田空港支店総務、国際提携部および空港部門では、外国航空会社との提携業務などに従事。2018年からは、アジア・オセアニア総務統括VPとしてシンガポールに駐在し、13か国17支店(当時)を管轄。2022年に帰国後、ANAホールディングス経営戦略室でグループエアラインポートフォリオ策定に携わる。2024年よりDEI推進部長を務めた後、2025年4月より現職。

シェルパ・アンド・カンパニー株式会社 取締役CSuO 中久保菜穂
S&Pグローバル Sustainable1部署にてESGソリューションズ・日本ヘッドを経て、2023年7月にシェルパ・アンド・カンパニーのCEIOに着任し、AIを駆使したサステナビリティに関する課題解決に取り組む。英国のESG評価機関であるVigeo Eirisでの分析・SRIアドバイザリー業務、デロイトにおける人権DD構築支援をはじめとしたESGコンサルティング業務経験も有する。京都大学 法学士、ロンドン大学(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)法学修士。大阪公立大学 経営学研究科 客員准教授。

 

ANAのサステナビリティ推進体制:本質的な議論の場へと昇華させる

中久保:ANAグループのサステナビリティ推進体制について、保谷様のもとでどのように推進されているか、CSOの役割も含めてお伺いさせてください。

保谷氏:私はCSO(Chief Sustainability Officer)という役職で、傘下にサステナビリティ推進部があります。同部は、ANAグループ全体で展開するサステナビリティ・ESG関連活動の統括、対外的な対話、社内への浸透を担っています。これらの活動を通じた企業価値向上を目指す対話については、IR部門とも密に連携しています。当社のサステナビリティ活動は、サステナビリティ推進部が直接実行する領域もありますが、多くは各部署が推進する活動を支援する形です。私たちは、グループとしての方向性は提示しますが、具体的な推進方法は各部門長に委ねられています。

中久保:そのような取り組みは、経営層にも定期的に報告されているのでしょうか。

保谷氏:四半期に一度、「グループESG経営推進会議」を開催し、ESG視点での事業進捗、目標達成度、新たな課題などを経営層に報告しています。まだまだ報告が中心ですので、経営全体で目指すべきサステナビリティ経営のあり方を再検討し、本質的な議論を行う場へとさらに深化させていきたいと考えています。

中久保:現在はそのための基盤を固めている段階なのですね。日々淡々と目の前にある業務をこなすのみならず、今後「グループESG経営推進会議」を通じて、経営戦略とサステナビリティの融合について議論していく、そのための準備をしているという意識の元業務に取り組まれているということが非常に重要だと感じました。今後の展開を楽しみにしております。

 

「人は無限の可能性を秘める」ANAのサステナビリティ戦略

中久保:次に、サステナビリティ戦略についてお伺いさせてください。御社は特に「人」に注力され、今年3月には『Human Capital Storybook』を発行されました。私が様々な企業や投資家とお話しする中でも、よく話題にのぼっています。トップマネジメントが人材投資に対して強いメッセージを発信されていますが、この領域を重視される理由、また、業績への影響についてお聞きしたいと思います。

保谷氏:当社の基盤である航空事業は、独自の強みを打ち出すのが難しい背景があります。例えば、航空機は自社開発ではなくメーカーから購入しており、機内サービスはお客様の安全性が最優先です。航路の決定も国家間の取り決めによる「権益」が関わるため、自由に独自性を追求できるわけではありません。ブランディングは行いますが、事業内容自体は航空会社間で類似する部分が多いのです。

中久保:標準化されている部分が多いということですね。

保谷氏:はい、その中で独自性を創出できるのが「人」であると考えています。これは、お客様と直接接するフロントラインだけでなく、それを支えるバックオフィスを含めた全従業員に言えることです。

人は無限の可能性を秘めていると私は信じています。私自身もそうですが、人は自身がまだ気づいていない能力を多く持っています。特に、未経験の状況に直面した時こそ、新たな自分を発見できる機会となります。

例えば、当社グループはコロナ禍という非常に困難な時期において、従業員の雇用を守り、多額の負債を抱えながらも事業を継続しました。しかし、そこからの急速な回復は、まさしく「人」の力があってこそ成し遂げたものです。社外から多くのご支援もいただきましたし、従業員の力がなければ、これほどの回復は不可能だったでしょう。

中久保:力強いメッセージに従業員の皆様も勇気を与えられることと思います。投資家サイドも、環境や安全性といったマテリアリティは重視すべきですが、結果として独自性が失われることについて懸念している方も多いように感じます。その中で、ANAグループ様が「独自性は人にある」と特定し、そこにアプローチされているのは、ステークホルダー、特に投資家にとって響く、価値創造の源泉として素晴らしい戦略だと感じます。

コロナ禍における従業員の雇用のお話は大変興味深いです。解雇に踏み切らなかったことは「人を大切にする経営」の表れだと感じますが、その後の目まぐるしい業績回復に、この方針が繋がったとお考えでしょうか。

保谷氏:その通りです。コロナ禍では運航自体ができない状況に陥ったため、企業として業務がない従業員にも給与を払い続ける余裕はなかったのは事実です。そこで、主にフロントラインの約2,300人の社員を中心に、2~3年間、外部企業や全国の自治体に出向してもらいました。

航空業界のコロナ禍の影響からの回復は非常に早く、比較的すぐに運航を再開する必要がありました。海外の同業界ではレイオフ(一時解雇)し、運航再開時に再雇用することが一般的でしたが、当社はそのような選択はしませんでした。厳しい時期には出向を依頼し、回復が見えてきた段階で出向先にご理解いただき、当社の業務に戻ってもらったことによって、回復期の人手不足を回避し、お客様に円滑なサービスを提供できました。

また、出向先でのまったく異なる業務経験が当社に復帰後ポジティブな動きに繋がっており、これはプラスの効果であったと考えています。

中久保:コロナ禍における異業種への出向は、人材を確保しリスクを管理しつつ、同時にリスキリングの機会を提供したという点で、二重の意味で効果があったのですね。実地でのリアルな経験が今日の業績拡大にも繋がったと言えそうですね。

保谷氏:はい、当社には副業制度がありますが、コロナ禍以前は一部でそのベネフィットに懐疑的な見方もあったと思います。しかし、出向を経験し戻ってきた社員の姿を見て、「副業も悪くない」という意識が社内に生まれたと感じています。

中久保:イノベーション創出や社会課題解決には、多様な視点やスキルが必要不可欠ですので、御社からサステナビリティをはじめとする様々な施策が生まれてくることを期待しております。

 

多様性が生む変革力:DEIが競争力を高める

中久保:もう一つ、保谷様が以前、DEI(Diversity, Equity & Inclusion)推進部長もされていたと伺いました。その取り組み、特に多様性を中心にお話いただきたいのですが、それが業績や企業価値向上にどう繋がるとお考えでしょうか。

保谷氏:DEI推進を率いた期間は1年間でしたが、その間に強く実感したのは、多様な視点こそが組織活性化の源であるということです。年齢や人種、文化的背景など、様々な観点が混ざり合うことで、個人が持つ多様な経験が共有され、無限の組み合わせが生まれることを学びました。均質的な組織は生命力が危うくなると感じたのです。

中久保:同じスキルセットや背景を持つ人ばかりの集団では、新しいアイデアが生まれにくい傾向があるのは事実だと思います。したがって、投資家コミュニティにおいても多様性にイノベーションの源泉を求める傾向があります。

保谷氏:確かに、似たような思考を持つ人が集まれば、物事を迅速に進められますし、何かを実行に移す際には効率的でしょう。しかし、新たなものを生み出す局面においては、多様な経験を持つ人々が集まることで初めて、新しい観点や発想が生まれるのではないでしょうか。

中久保:まさに先ほどのコロナ禍での社員の方々の出向によるリスキリングの話にも繋がるなと感じます。多様性の重要性は、企業によって曖昧なものになりがちで、単に受け入れること自体の価値観として捉えられ、競争力にどう繋がるのかまで説明しきれていないことも多いと感じています。保谷様がANAグループを代表し、多様性が様々なベネフィットをもたらし、結果として企業が生き残るための競争力につながるという明確なメッセージを発信されているのは素晴らしいと感じました。

保谷氏:DEI推進をする中でもどかしく感じたのは、人を分類・区分けしようとする傾向です。人はしばしばカテゴリーで語られますが、それが間違いではないとしても、本質ではないと考えています。

中久保:例えば、米国では政治的にDEIの推進が難しくなる状況が見られますが、人をグループ化して考えることは、どのグループがより優遇されているか?といった議論につながりかねないと思います。もちろん守られるべきグループを特定することは重要なのですが、本質的には、一人ひとりが尊重されるべきですね。そういった視点でしょうか?

保谷氏:その通りです。経営観点で見れば、参画してくれた社員が当社で最大限に能力を発揮できることがベストですし、社員としても、自分が活躍できる場が会社から提供されることがやりがいにつながるはずです。しかし、会社が大きくなればなるほど、一人ひとりを丁寧に見て、個性に合わせた場を提供することが難しくなるのが現実です。だからこそ原点に立ち返り、丁寧な対応を心がけることがDEIの精神のあり方だと考えています。

中久保:DEIの重要性についての漠然とした問題意識を言語化していただいたように感じます。ちなみに当社はまだ小規模ですが、事業成長を加速させる段階ですので、一人ひとりの良さを伸ばすことには細心の注意を払わないと、取り残されてしまうリスクがあると感じています。御社のような大企業だけでなく、中小企業も気をつけなければならないと改めて感じました。

御社の『Human Capital Storybook』でも多様性から変革が生まれるという記述があります。多様性が最終的に生産性向上、ひいては企業価値向上に繋がるという、多様性が変革の源泉であるという考え方が、ANAグループ様の強みであると感じました。

保谷氏:個性の掛け合わせが多ければ多いほど、企業の可能性は大きくなると考えています。例えば、当社の各部署にも専門家集団がおり、それぞれにとっての常識が存在しますが、その常識に囚われすぎると新たな発想は生まれにくいものです。外部からの視点を取り入れることで、既存の当たり前が実は非効率的なものであると気づかされることも少なくありません。

異なる視点を取り入れることには勇気が必要ですが、実際にそれが実績に繋がり、皆がその成功経験を共有することで、自信を持ってより積極的に多様な意見を取り入れる風土が醸成されると考えています。

中久保:投資家との対話においても、多様性が企業価値にどう繋がるかについては様々な見解があります。例えば、多様な観点がリスク低減に繋がる、あるいは優秀な人材の獲得に貢献するといった意見です。企業としては、多様性が企業価値に繋がるという自社の考え方を明確に発信することが極めて重要であり、投資家もそれを求めていると感じます。DEIには様々な効果があるという認識はすでに共有されていますので、実際に変革に繋がるという企業リーダーからのメッセージの発信は非常に意義深いものです。他企業の方々も、社内での取り組みへの参考にしていただけるものだと思います。

(※)プレスリリース「シェルパ、シリーズBラウンド1stクローズで10億円を調達」(2025年8月28日)

>>>続きを読む「サステナビリティ情報開示の進展が企業価値向上を実現。AI/テクノロジー活用への期待(後編)」

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