【後編】自然関連の目標はどう立てればいいのか?SBTNの5ステップと実務ポイント

自然関連財務情報開示(ネイチャー開示)への対応が、日本企業の間でも進み始めている。7月に開催された第2回グローバル・ネイチャーポジティブ・サミットでも、指標の議論がなされるなど、今後もネイチャー開示の流れは進んでいくことが想定される。
一方で、多くの企業がネイチャー開示の課題として挙げるのが、目標設定に必要なデータ収集やトレーサビリティの確保ではないだろうか。どの拠点や調達地を対象とすべきかを特定する段階で手間取り、目標設定そのものに着手できていないケースも少なくない。
前編では、同サミットでビジネスと金融セクターに対し自然関連の取り組みの加速が求められたことを踏まえ、科学的根拠に基づいて自然関連の目標を設定する国際的な枠組みであるSBTN(Science Based Targets Network)の位置づけと、気候分野の目標設定との違いを整理した。
本稿では、ネイチャー開示の目標設定フレームワークとして活用が進むSBTNの5つの目標設定ステップを紹介するとともに、パイロット企業が直面した課題や、実務で押さえておきたいポイントを解説する。
▶【前編】いま、企業に求められるネイチャー開示とは?自然目標設定を担うSBTNの位置づけ
SBTN目標設定の5つのステップとは?
SBTNの目標設定プロセスは、現状把握、解釈と優先順位付け、測定・設定・開示、行動、追跡という5つのステップで構成される。このうちステップ1から3までが「認定要件」であり、認定を取得するには順番に提出する必要がある(ステップ1・2を通過せずにステップ3を提出することはできない)。
| ステップ | 概要 |
| ステップ1: 現状把握 (Assess) | 自社の活動が自然に与える環境マテリアリティを概観する。 マテリアリティスクリーニング(1A)で重要な環境圧力を特定。 バリューチェーン評価(1B)で操業地・調達地の圧力と自然の状態を定量化する。 |
| ステップ2: 解釈と優先順位付け (Interpret & Prioritize) | 目標を設定する空間領域(目標バウンダリ)を定義。 圧力データと自然の状態、ステークホルダーや事業依存などを踏まえて、優先的に取り組む場所を決める。 |
| ステップ3: 測定・設定・開示 (Measure, Set & Disclose) | 優先地について、淡水・土地・海洋の領域ごとの技術ガイダンスに沿ってベースラインを計算し、目標を設定・開示する。 ※気候目標はSBTiが担う。 |
出所:SBTN「ネイチャーSBTs 企業マニュアル」よりESG Journal作成
以降、ステップ4,5およびネイチャー目標設定を検討する企業が押さえたい実務ポイントや課題について解説していく。
目標設定後に求められるアクションとは?
目標を設定し認定された後には、目標を達成するための「行動」(ステップ4)と、進捗を測り報告する「追跡」(ステップ5)が続く。
| ステップ | 概要 |
| ステップ4:行動 (Act) | 目標達成に向けて取りうる行動の類型を示す。回避・削減・再生・復元・変革を扱うAR3Tフレームワークが土台となる。 |
| ステップ5:追跡 (Track) | 測定・報告・検証(MRV)を通じて、目標に対する進捗を毎年開示していく。 |
出所:SBTN「ネイチャーSBTs 企業マニュアル」よりESG Journal作成
SBTN基準・ガイダンスはどこまで整備されているのか?
ただし、この2つのステップについては、SBTN基準やガイダンスがまだ整備の途上にあることを正確に理解しておく必要がある。
公式サイトでも、詳細な技術ガイダンスが揃っているのは最初の3ステップまでであり、ステップ4・5は計画段階と位置づけられている。
対象領域の整備も進行中である。海洋は2025年3月に方法論が公開され、2026年には海洋を対象に含む認定も出始めた。既にV1が出ている土地・淡水についても、最新の科学を反映し対象範囲を広げたV2の策定が進んでおり、いずれも2026年の公開が予定されている。
ただし、現行のV1はV2と互換性を持つ設計であり、V2公開後6か月間は引き続き目標設定に使用できる。V2の公開を待つ必要はないといえる。「枠組みは示されているが、詳細はこれから」という状態である。次章では、実際にパイロットに参加した企業が直面した課題と、これから自然関連の目標設定(ネイチャー開示)を検討する企業の実務ポイントを解説する。
ネイチャー目標設定の課題と実務ポイントとは
課題①:バリューチェーン評価
自社拠点は比較的把握しやすいが、バリューチェーン全体に評価対象を広げた場合に難易度が上がる。最初のマテリアリティスクリーニングは、SBTNが指定するツール「MST」(Materiality Screening Tool)を使えば、セクターごとのマテリアリティを標準化された形で特定でき、同業他社との横並び比較もできる。ただし、サプライチェーン全体に対象を広げると、必要となるデータ量が増え、トレーサビリティの限界や自然指標の解釈などが課題となる。
パイロット参加企業は、自然への影響を定量化するうえで、過去の取り組みで得たデータを活用しつつも、水質汚染・土地利用変化・土壌汚染といった新たな指標を評価する必要に迫られた。さらに、操業地や調達地の自然の状態(state of nature)指標を、推奨ツール群を用いて評価することも求められた。大量のデータを要するうえ、トレーサビリティの限界や自然指標の解釈にも悩まされる作業だった。
実務ポイント:SBTNは初期分析を容易にするために、バリューチェーン評価対象の範囲を絞り込んでいる。具体的には、上流は原材料の生産にかかわる活動のみを必須とし、サービスや資本財は除外可能、高影響コモディティ(HICs)も数量ベースで最大10%まで除外できる。
これを踏まえ、スクリーニングに労力を注ぎすぎず、リソースは後半のバリューチェーン評価に温存すること。まずは既存のデータ(GHG算定、水リスク評価など)を棚卸しし、そこに足りない指標(土地利用変化、自然の状態など)を洗い出す順で進めると、負担を抑えやすい。
課題②:優先順位付け
評価を進めるうえで収集すべきデータは、2種類ある。1つは圧力データで、取水量や土地利用の変化、水質汚染といった、自社の活動が自然に与える負荷を指す。もう1つは自然の状態データで、その場所の自然がどれだけ損なわれているかを表す。企業はSBTNの手法に従ってこの2つを集計し、優先的に取り組む場所を順位づける。
一方、パイロット参加企業の一部からは、算出された優先地が「自社が最も影響が大きいと考える場所」と一致しない、という声が上がった。SBTN自身も、優先順位付けの手法では、企業の複合的な自然への圧力・自然の状態・行動可能性を十分に反映しきれていなかったと認めている。
実務ポイント:SBTNの手法では、影響ベースのランキングを終えた後に、ステークホルダーエンゲージメント、人権、事業の自然への依存、財務・戦略上の関心といった要素を組み込む設計になっている。これはCSRDのダブルマテリアリティの考え方とも整合する。
SBTNの手法だけでは拾いきれない自社固有の事情もあるため、ツールが出す優先順位を鵜呑みにせず、現場の実感や事業戦略と突き合わせる工程を置きたい。ダブルマテリアリティの観点を早くから接続しておくと、CSRD等の他制度対応とも整合させやすい。
課題③:流域に適したローカルモデル(淡水)
淡水目標は流域ごとに設定するため、その流域に適した水文モデルが要る。パイロットに参加したサントリーは、目標を設定する際、一部の流域でローカルの水文モデルを見つけられなかった。グローバルモデルで代替したものの、それが流域の実態を反映せず、非現実的な目標につながるリスクを懸念した。ローカルモデルの構築が望ましいものの、相当のコストと労力がかかるという難しさもあった。
一方でサントリーは、主要生産拠点である熊本地域を、水量・水質の目標対象地に特定した。同社はパイロット以前から、地元の大学や行政と協働して地下水の流れを可視化するローカルシミュレーションモデルを構築しており、これらの組織とのさらなるステークホルダーエンゲージメントを通じて、同地域での水量・水質目標を設定した。ローカルモデルがない上流拠点(日本の緑茶、ブラジルのコーヒー)については、グローバルモデルを用いて目標を特定した。
実務ポイント:ローカルモデルの探索とステークホルダー協議は時間を要する前提で、早く動くこと。シミュレーションを組むまでせずに、環境省が提供する生物多様性「見える化」マップやYAMAPの流域地図などで、ある程度の粒度で局所的な自然の情報が見られる。グローバルデータベースやSBTNが提供予定の流域閾値ツール(basin threshold tool)など、実態を補完するリソースの更新をチェックしておきたい。
なおSBTNは、流域閾値ツールが未公開のあいだは、モデル選定の手順の最初の段階を飛ばし、国レベルのステークホルダー協議から始めてよいとしているため、ツールの公開を待つ必要はないと考えられる。
課題④:生産地・調達地の特定(土地)
土地の「転換なし」目標では、2つの区分を使い分ける。1つは「コアとなる自然地(Core Natural Lands)」で、転換を認めない対象範囲を定める区域の考え方だ。企業は生産地や調達地をSBTNの自然地マップ(Natural Lands Map 2020 v1.1)に重ね合わせ、生物多様性上重要な地域(KBA)や保護区、重要な生息地(Critical Habitat)を含む区域を特定し、転換を認めない対象区域として線引きする。
もう1つが「転換ホットスポット(conversion hotspots)」である。転換を駆動するコモディティを調達する企業に対し、優先的に取り組む地域の特定を求める認定要件で、ステップ2の空間的な優先順位付けとは別に追加で課される。
ただ、そもそも上流のコモディティを産地まで追えなければ、自社の調達がどのホットスポットに当たるかを突き止められない。委託調達が多い企業ほど、このトレーサビリティの壁は高い。
実務ポイント:完璧なトレーサビリティを前提に構えないこと。まず特定したホットスポットから着手し、追跡可能な量から目標を設定していくのが現実的である。なお土地の転換なし目標は、AFi、SBTi FLAG、EU森林破壊防止規則(EUDR、EU 2023/1115)と対象コモディティ・目標年を揃えており、これらへの対応と一体で進めると効率がよい。
課題⑤:目標を実行・管理する仕組みづくりが課題
SBTNは、パイロット参加企業の企業行動計画やMRV(測定・報告・検証)の提案を、今後の追加ガイダンスに反映していくとしている。先行する企業は、確立された手順に従うというより、自社の運用を構築しながら進める進める立場に置かれるといえる。
実務ポイント:行動の優先順位付け、地元ステークホルダーとの連携、KPIの追跡と報告、リソースの確保といった要素を、早い段階から自社のPDCAに織り込んでおきたい。認定後の進捗開示先として、SBTNはCDPの水セキュリティおよびフォレスト質問書を推奨しており、既存の回答プロセスに活用できる部分は少なくないとみられる。ガイダンスが確定した段階で組み立て直す手戻りを抑えられる。
まとめ
今年、企業の自然および生物多様性関連の情報開示が一段と注目を集めそうだ。日本企業の移行計画にも、ネイチャーが組み込まれる流れも遠くないとみられる。現状把握を終えた企業に次に問われるのは、「どの場所で、どこまで、いつまでに」という目標設定の解像度だ。この領域はまだ発展の途上にあり、SBTN自身も方法論を更新し続けている。ESG Journalでも、この動きを引き続き追っていきたい。
参考情報:SBTN: Validation Requirements and Recommendations v1.1、SBTN: ネイチャーSBTs 企業マニュアル、TNFD: Guidance for corporates on science based targets for nature、SBTN: Frequently Asked Questions、SBTN: Leading the way – initial learnings from SBTN’s target validation pilot、環境省: 生物多様性「見える化」マップ、YAMAP: 流域地図
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<執筆者>

マルティネス リリアナ(ESGJournalスペシャリストライター)
サステナビリティ学修士。シンクタンクにて、海洋・大気環境分野を中心とした環境政策・制度検討支援(調査・分析)に従事。また、国際海事機関(IMO)における海洋環境関連条約の技術・政策議論にTechnical Advisorとして参画した経験を持つ。その後、 Big4 ファームにて、気候変動、ネイチャー課題を中心とした企業向けアドバイザリー業務に従事。現在は 非財務情報開示フレームワークからサステナビリティを巡る国際動向まで、企業実務の視点からオリジナル解説およびホワイトペーパーを執筆。

